国産時計メーカー「セイコー」とは
セイコー(SEIKO)は、1881年に創業した日本を代表する時計メーカーです。
創業当初は、創業者である服部金太郎の名前から「服部時計店」の名称で、主に時計の小売、修理を生業としてスタートしますが、1892年に小売業での成功を背景に、製造部門「精工舎」設立し、本格的な時計製造を始めます。
とはいえ、当初は掛時計の製造が主であり、後に懐中時計・腕時計の製造を開始し、日本を代表する時計メーカーへと発展していきました。
あなたの身の回りにも、1つぐらい、セイコー製の時計がきっとあるはず。
今回は、そんなセイコーについて解説していきます。
目次
セイコーの歴史
1881年、銀座で創業
セイコーは、1881年、創業者の服部金太郎が東京・銀座に「服部時計店」を開業したことから始まります。
当初は時計の修理や輸入時計の販売を主な事業としていましたが、1892年には自社での時計製造を目指し、製造部門「精工舎」を設立します。
これが現在のセイコーの礎となりました。
(どんなに困難な時でも)必ず約束を守る
創業当時、時計卸商品はすべて横浜や神戸など開港地区に開設された「外国商館(外国企業の日本支社のようなもの)」から仕入れなければならなりませんでした。
商館の取引は30日延し(1ヶ月以内に代金を決済)の約定が定められていましたが、当時は江戸時代以来の「盆暮れに清算する」という古い商習慣が残っており、約定を守らない商店も多く、外国商館からは不評をかっていたそうです。
そんな中、服部時計店は内外人の区別なく、どんなに困難な時でも、取引の約定を守ったことで、商館・販売店の間で店の評判が高まっていきました。
その結果、外国商館は、服部時計店に優先的に新しいモデルを卸してくれるようになり、比較的短い期間にめざましい躍進をとげ、1886(明治19)年の好景気時から、舶来時計の卸・販売に集中していくことになりました。
そして、創業後6年目の1887(明治20)年には、日本商業の中心地・銀座の表通りへの進出を果たし、1895(明治28)年には銀座四丁目の角地(現在の和光)を購入し、時計台を設置した後に移転しました。
しかし、1923(大正12)年9月、関東大震災という創業以来の非常事態にみまわれます。精工舎は給水鉄塔をただ一つ残して全焼し、当時本店ビル建築のため仮住まいしていた営業所や自邸も焼失するなど、甚大な被害を被りました。
金太郎は、一旦は落胆するも、4日後には精工舎の再開を宣言し、復興に着手しました。
※関東大震災で焼けた時計(複数の懐中時計が溶けて、このような形になっています。)
また被災に際して、震災前に顧客から修理のため預かっていた時計約1500個が焼失するという事態がおこりますが、金太郎は新聞広告を出し、申し出た顧客に同程度の新品をもって返済するという顧客志向の対応をして、大きな話題となります。
このことにより顧客からの信頼が確固たるものになりました。
常に一歩先に
金太郎は、次のような言葉を残しています。
「すべて商人は、世間より一歩先きに進む必要がある。ただし、ただ一歩だけでよい。何歩も先に進みすぎると、世間とあまり離れて預言者に近くなってしまう。商人が預言者になってしまってはいけない。」
1924年には、「SEIKO」の名を冠した日本初の腕時計を発表します。
それまで懐中時計が主流だった時代に、腕時計という新たなジャンルを切り開きました。
また、この「SEIKO」というブランド名は、それ以前に使用されていた「SEIKOSHA(精工舎)」の名前を簡略化したもので、「精巧な時計を作る」という理念を表しています。
そこには、「精巧な製品」により、欧米に負けない時計事業を日本に興すという強い覚悟をもって「精工舎」という社名にしたのでした。
また、「良品はかならず顧客の愛顧を得る」という信念のもと、「品質第一」「顧客第一」とするモノ作りに励みました。
さらに、創業時から会社のトレードマークを創案するなど、金太郎は「精良な製品を作る」だけでなく、現在でいう「ブランディング」「マーケティング」の重要性を強く意識していました。
その精神は、先の「SEIKO」ブランドの立ち上げや日本初のラジオ・テレビのCM放送、1964(昭和39)年の東京オリンピック公式計時などに引き継がれています。
急ぐな休むな
金太郎は、人生の教訓を求められた時には、「急ぐな、休むな」と言っています。
・「向上心は何処までも持っていて、一歩一歩少しずつでも急がず休まずに働いていった方がよい」
・「無理に焦って仕損じるよりも、永く持続して飽かずたゆまずやっていく方がよい」
・「急げば休まなければならぬ。休まず進まんとすれば急いではならぬ」
この言葉通り、セイコーは数々の革新的な技術を生み出しました。
1960年には、「グランドセイコー」シリーズを発表し、高精度と美しいデザインを兼ね備えた時計を世界に送り出しました。
1969年には、世界初のクォーツ式腕時計「クオーツアストロン」を開発。
これにより、クォーツ技術が時計産業に革命をもたらし、世界中の時計市場に大きな影響を与えました。
1970年代に入ると、セイコーはダイバーズウォッチやクロノグラフの分野でもリーダーシップを発揮します。
1975年には、世界初のチタンケースを採用したプロフェッショナルダイバーズウォッチを発表。
1982年には、宇宙環境での使用を想定した「スプリングドライブ宇宙探査モデル」も登場しました。
さらに、1988年には世界初の自動発電式時計「AGS」(後の「キネティック」)を開発し、環境に配慮した技術を導入。
2004年には「スプリングドライブ」という革新的なムーブメントを発表し、クォーツと機械式時計の長所を融合させた新たな時代を切り開きました。
現在、セイコーは、機械式、クォーツ式、そしてハイブリッド型の時計を手掛ける多彩なブランドを展開しています。
「グランドセイコー」や「プロスペックス」、「プレザージュ」など、あらゆるライフスタイルや好みに応じたモデルを提供しています。
セイコーはただの時計メーカーではなく、時間そのものを革新し、世界に影響を与え続けてきたブランドです。
その歴史を知ることで、セイコーが生み出した時計の奥深さをさらに感じることができるでしょう。
■セイコーの歴史年表
1881年 | 服部金太郎(創業者)東京・京橋采女町に「服部時計店」を創業。 |
1892年 | 小売業の成功を背景に、製造部門事業部として「精工舎(錦糸町)」を設立、掛時計の製造を開始。 |
1895年 | 銀座4丁目に移転。時計塔を建て営業を開始。精工舎初の懐中時計「タイムキーパー」の製造開始。懐中時計事業は赤字が続くも継続し、やがて市場を独占する。 |
1899年 | 目覚時計の製造開始。 |
1909年 | ビニオン自動旋盤機を自社開発し、懐中時計の生産性を飛躍的に高め、翌年、懐中時計事業黒字化。 |
1913年 | 懐中時計からの時代の変化を先取りし、国産初の腕時計「ローレル」発売。 |
1917年 | 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる。 |
1923年 | 関東大震災で工場、店舗すべて消失するも2ヶ月後に営業再開。震災で焼失した修理預かりの時計の代償に無償で新品を進呈したことで確固たる信用を得る。 |
1924年 | 「SEIKO」のブランド(商標)の腕時計を初めて発売。 |
1929年 | 懐中時計「セイコーシャ」が国産初の鉄道時計に指定される。 |
1932年 | 銀座のシンボルである、現在の時計塔(和光本館)を竣工する。 |
1934年 | 創業者・服部金太郎 逝去。 |
1937年 | 製造部門(工場)「精工舎」の腕時計製造部門が分離独立し、「株式会社第二精工舎」(現在のセイコーインスツル株式会社)となる。 |
1939年 | 亀戸に第二精工舎本社工場が竣工。 |
1943年 | 太平洋戦争により、桐生、富山、仙台、諏訪の4箇所に工場を分散疎開。戦時中、東京大空襲を含む本土空襲により、亀戸工場が消滅。 |
1947年 | 小売部門が独立し(株)和光となる。 |
1949年 | 終戦後、疎開先の3工場を撤収し、諏訪に集約。 |
1953年 | 日本初のテレビコマーシャルが放送される。(1951年には、ラジオCM第1号が放送される)。 |
1956年 | 独自設計による腕時計「マーベル」発売。 |
1959年 | 諏訪工場が独立し、(株)諏訪精工舎となる(現セイコーエプソン)。 |
1960年 | 初代「グランドセイコー」を発売。 |
1963年 | 「セイコースポーツマチックファイブ」を発売。 |
1964年 | 東京オリンピック開催。セイコーが初めてオリンピックの公式計時を担当。 |
1965年 | 国産初のダイバーズウオッチ「150mダイバー・ファースト」発売。 |
1967年 | ニューシャテル天文台コンクールで機械式腕時計の企業賞2位、3位を獲得。 |
1968年 | ジュネーブ天文台コンクールで機械式時計の上位独占。 |
1969年 | 世界初のクオーツ腕時計「クオーツアストロン」発売。「5スポーツスピードタイマー6139クロノグラフ(垂直クラッチ機構とコラムホイールを同時に搭載した世界初の自動巻クロノグラフ)」発売。 |
1973年 | 世界初「6桁(時・分・秒)表示液晶腕時計」を発売。 |
1974年 | セイコー特選時計「クレドール」の発売を開始。 |
1975年 | 国産初の飽和潜水ダイバーズウオッチ「プロフェッショナルダイバー600」発売。 |
1982年 | 世界初のテレビウオッチ発売。 |
1983年 | 社名を「株式会社服部セイコー」とする。 |
1988年 | 世界初の自動巻発電クオーツ「キネティック」発売。 |
1997年 | 社名を「セイコー株式会社」とする。 |
1999年 | 世界初のスプリングドライブウオッチ発売。 |
2004年 | 機械式腕時計を一貫生産する「雫石高級時計工房」開設。 |
2007年 | 社名を「セイコーホールディングス株式会社」とする。 |
2012年 | 世界初GPSソーラーウオッチ「セイコー アストロン」発売。 |
2017年 | 「グランドセイコー」を独立ブランド化。 |
代表的なモデル一覧
セイコーはその長い歴史の中で、数多くの革新的なモデルを生み出してきました。
以下では、代表的なシリーズをご紹介します。
セイコーの時計は、各時代ごとの技術革新や挑戦の結晶です。
その一つ一つが、セイコーの歴史とともに愛好家に語り継がれています。
グランドセイコー
「最高の時計を作る」という理念の下で誕生したフラッグシップシリーズ。
1960年に誕生したグランドセイコー(GS)は、正確性、美しさ、耐久性を追求し続けている。
初代グランドセイコー
1960年に登場し、当時のスイス・クロノメーター優秀規格と同一の社内検定を行い、これに合格したものが歩度証明書付きで発売されました。
57GS/GSセルフデーター
1964年に登場したグランドセイコーの2ndモデル。
カレンダー機能が搭載され、防水性能は水深50mまで対応したことで、より実用性能が向上しています。
44GS
初の第二精工舎(亀戸)製造として1967年に登場。
5振動の手巻時計として当時、最高精度に調整したモデルであり、現代まで連綿と受け継がれているデザイン理念「グランドセイコースタイル」が実現された最初のモデルです。
62GS
グランドセイコー初の自動巻モデルとして1967年に登場。
自動巻(リューズを巻く必要がない)であることをデザイン上で強調するために、リューズを4時位置に目立たないよう設置しているのが特徴です。
61GS
国産初の自動巻10振動モデルとして1968年に登場。
10振動により等時性に優れ、姿勢差、外乱の影響などに対してもより安定した高精度を実現することができるようになりました。
巻上げ方式はセイコー独自のマジックレバー方式を採用しており、当時の最高峰モデルとして発売されました。
45GS
自動巻の61GSに続いて、同年1968年に発売された手巻き10振動モデル。
従来の手巻の57系GS、44系GSに比べてより薄型のムーブメントサイズ、自動巻の61GSと同様、姿勢差、外乱の影響などに対してもより安定した高精度を実現しました。
日付付きモデルは、瞬間日送り機構を搭載しています。
56GS
1970年の発売当時、消費の多様化の時代を迎えつつあり、軽く、薄く、小さく、使いやすいものが求められるようになってきていました。
そういった時代の要請にこたえるべく、高精度な自動巻でありながら薄型化(ムーブメント厚さ:4.5mm)を実現し、手首に軽くフィットする端正なデザインでまとめられたモデルです。
キングセイコー
高精度モデルでグランドセイコーと肩を並べたシリーズ。
1961年に登場したキングセイコー(KS)は、セイコーの技術力を象徴するモデルの一つです。
初代キングセイコー
グランドセイコーと並び、セイコーを代表する高級腕時計として1961年に登場。
ベースは、マーベルより薄く高性能を目指したクロノスで、スイス・クロノメーター級の検定規格を設定し、合格しました。
44KS
1965年に登場。
秒針規正装置を備え、キングセイコーのオリジナリティを確立したモデルです。
ラグが一層太くなり、12時位置インデックスの天面に施されたユニークなライターカット、よりシャープさを増したケースデザインは、後のシリーズに今なお影響を与え続けています。
45KS
ブランド初となる36,000振動/時の高振動数で高い精度を誇るムーブメントを採用し、精度重視の手巻きモデルとして1968年に登場。
その造形や筋目と鏡面の仕上げ分けによるケースのエッジなど、ユニークかつ高級感もあるモデルです。
56KS
諏訪精工舎初のキングセイコーとして1968年に誕生。
自動巻モデルで実用性を向上。
56系ロードマチックを元にハイビート化して精度を高めていく中で、56KSへと進化し、後にはGSにも搭載されています。
52KS
56KSの上級機種として1975年に発売された52KS。
自動巻キングセイコーの最終期にさしかかった1975年4月に半ば唐突に登場し、その後のクォーツショックの影響で1975年12月のわずか8か月ほどすぐに製造終了しました。
ダイバーズモデル
セイコーの耐久性と革新性を象徴するプロフェッショナルモデル。
150mダイバー(1stモデル)
1965年に登場した国産初の自動巻150m防水ダイバー。
このモデルの誕生は、信頼性、安全性を第一に追求するセイコーのダイバーズウオッチの幕開けとなりました。
150mダイバー(2ndモデル/前期型)
1968年に登場した150m防水ダイバーの2ndモデル。
リューズの位置が4時位置に変更され、ケースもより大振りなダイバーズモデルらしいデザインになっています。
150mダイバー(2ndモデル/後期型)
同年1968年に登場した150m防水ダイバーの2ndモデル(後期型)です。
前期型と比べるとケースデザインが大幅に変更されており、リューズガードやリューズロック機能の追加など、プロフェッショナルモデルとしての実用性が向上しています。
また、冒険家「植村直己」が1974年~76年にかけて行った北極圏12,000km犬ぞりの旅に携行されたことでも有名です。
150mダイバー(3rdモデル)
1976年に登場した150m防水ダイバーの3rdモデル。
太く丸みを帯びたケースデザインが特徴的です。
日本国内向けモデルと輸出向けモデルがあり、ムーブメントの石数が異なります。
300mプロフェッショナルダイバー(62ダイバー)
国産初の本格的なダイバーズウォッチとして1967年に登場。
1967年から68年の約2年間しか製造していない極めて希少なモデルです。
600mプロフェッショナルダイバー
世界初のチタン製ケースを採用し、軽量かつ頑丈なプロフェッショナルモデルとして1975年に登場。
クロノグラフ
国産初のクロノグラフでセイコーの技術力をアピールしました。
クラウンクロノグラフ(ワンプッシュクロノグラフ)
東京オリンピックの年(1964年)に発売した国産初のストップウオッチ付き腕時計。
コラムホイールで作動を制御しています。
スピードタイマー
1969年に登場した世界初の自動巻クロノグラフの一つ。
精密な計時機能と耐久性を兼ね備えたムーブメント「Cal.6139」を搭載しています。
「Ref.6139系」の他にも、「Ref.6138系」、「Ref.7017系」など、様々なバリエーションのモデルが存在します。
スタンダードモデル(自動巻)
ジャイロマーベル
セイコー独自のマジックレバー方式を初めて搭載した自動巻腕時計として1959年に登場。
マジックレバーは両方向の回転錘の動力を効率良く伝えるシンプルな「爪レバー方式」の画期的な自動巻機構で、現在も各種自動巻モデルに使われています。
巻上げ性能が高く、価格も安かったため、瞬く間に世界を席巻し、自動巻腕時計の大衆時代を切り拓きました。
独楽マーク(ジャイロマーク)は当時、自動巻腕時計がまだメジャーな存在ではなかったため自動巻を示すイメージシンボルとして文字盤に配置されています。
セイコーマチック
セイコーの多くの自動巻モデルに名付けられた「◯◯マチック」というペットネームの中でも始祖といえるシリーズです。
1960年代頃の機械式時計最盛期に、セイコーの薄型普及機「ライナー」をベースに開発されました。
スポーツマチック
1960年代に登場し、有名な「5スポーツ」や「スピードタイマー」などの源流となったシリーズです。
国産自動巻腕時計を普及させた代表的なモデルで、手巻き機能が存在せず自動巻き上げのみを行う設計のため、竜頭での手巻きが不要であることをアピールするために、竜頭がケースに埋め込まれているような特徴的なデザインを採用しています。
ワールドタイム
1964年の東京オリンピックを記念して発売された「ワールドタイム」。
インナー回転ベゼルに主要都市の名が記載されており、内側の24時間表示とGMT針を合わせることで、各国の時刻を知ることができます。
ロードマチック
1968年に登場した「グランドセイコー」「キングセイコー」に次ぐ高級機です。
機械式腕時計の集大成を目指し、自動巻腕時計の携帯のしやすさを極めた薄型化、小型化を実現しました。
ナビゲータータイマー
1968年に登場したGMT機能搭載の自動巻モデル。
回転ベゼルを回すことで時差のある2地点間の時刻をひと目で認知することができます。
プレスマチック
1969年に第二精工舎(亀戸)製自動巻モデルの高級機として発売されました。
セイコーマチックPをベースに改良されたハイビートムーブメントを搭載しており、竜頭内に設置された六角形のプッシュボタンがその名残として残っています。
スタンダードモデル(手巻き)
スーパー(1950年)
1950年、セイコーの腕時計で初めて、6時位置の小秒針ではなく、時分針と同じくセンターに秒針を配置した、いわゆる中三針の腕時計として誕生。
マーベル
1956年、世界に肩を並べるべくセイコー初の独自設計で作った、当時では最も精度が高い製品。
ムーブメントサイズをΦ26mmと大きくし、時計の原理原則に立ち返り、高性能、作り易さ、修理性を追求したモデルです。
日本での精度コンクールでは敵なしで、1957(昭和32)年米国時計学会(日本支部)のコンクールでもスイス品を抜いて第一位にランクされました。
「国産の時計は安かろう悪かろう」のイメージを払拭した時代を画する製品です。
ローレル
1958年、マーベルをマイナーチェンジした普及機として誕生しました。
もともとは諏訪精工舎で製造してましたが、1960年より第二精工舎(亀戸)に生産が引き継がれました。
ロードマーベル
1958年当時、既存の製品の2倍という破格の価格設定で発売され、初代グランドセイコーの登場(1960年)までセイコーの最高級機種として販売されていたモデルです。
クロノス
第二精工舎(亀戸)の独自設計による初の本中三針(センターセカンド)として1958年に誕生。
諏訪精工舎の「マーベル」を意識して、より薄く、より高性能を目指したモデルです。
クラウン
ムーブメントサイズ「11 1/2」と大型化を図ったマーベルをベースとした改良機として1959年に誕生。
ムーブメントサイズ「12 1/2」と、マーベルよりも一回り大型化し、テンプ性能も向上させたモデルです。
チャンピオン
準高級機「クロノス」の後継モデルとして1960年に登場。
クロノスのムーブメントは曲線的なデザインなのに対して、チャンピオンでは直線的なものになっており、より量産に適したデザインになっています。
ライナー
「薄型=高級」が流行した1960年代に、諏訪精工舎で製造されたモデルです。
第二精工舎(亀戸)から先に薄型腕時計として発売された「ゴールドフェザー」に対抗するように、1960年頃に誕生しました。
スカイライナー
「薄型=高級」が流行した1960年代に、諏訪精工舎で製造された「ライナー」の普及版として1961年に登場。
薄型機としての特徴はそのまま活かし、性能に影響のない箇所の仕上げをやや簡素化しています。
モデル系統図
参考:トンボ出版・国産腕時計セイコー クラウン・クロノス・マーベル増補版
まとめ
セイコーは、世界に誇る技術力とデザインで、多くの時計ファンを魅了し続けています。
その長い歴史を知ることで、時計の魅力がさらに深まることでしょう。
あなたも是非、セイコーの歴代モデルを手に取ってその歴史に触れてみてはいかがでしょうか。